死ぬほど胡散臭いスピリチュアルな話を死ぬほどロジカルに考えてみた

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強く願えば叶う!願いは叶えるためにある!運命は変えられない!運命は変えられる!

どっちじゃぁぁぁぁぁぁ!!!!

あ、みなさんこんにちは!

オーラ。波動。引き寄せの法則。神の意志。う・・・胡散臭い・・・!!胡散臭すぎて息ができないよお母さん・・・!!!

ということで、そろそろこの手の胡散臭い話に決着をつけようと思います。

といっても、ここでお話することは「人生の仕組みを科学的に証明します」といったことではありません。

ワタシはスピリチュアル的な話題が胡散臭すぎて耐えられないタイプの人間ですが、そういった人たちが言っていること自体はあながち間違っていない、と考えます。彼らの考え方から学ぶべきことは少なくありません。

ただ、彼らの言葉のチョイスが生理的にダメなので、もしワタシと同じようにスピリチュアルアレルギーの方がいたらと思い、この記事では運命やオーラとは、引き寄せの法則とは、神の意志とは、といった胡散臭さMAXの話題に、ロジックを持って挑みます。

1. 「運命とは」についてロジカルに考える

運命とは「超自然的な力により人に訪れるめぐり合わせ、または天命によって定められた人の運」と、辞書には書いてあります。

OH・・・スピリチュアル・・・この時点で一瞬顔をしかめてしまいました。「超自然」だなんてまたずいぶん大胆なザックリ加減ですなー

では運命が存在するか否かについて考えてみましょう。ややこしくなるので、いったん超自然君はスルーして、「天命」の方をなんとかしましょう。

辞書によると、天命とは「生まれた時から定まっている運命」とあります。おや・・・?運命が何であるか探るために天命の意味を調べたらまた運命出てきちゃったよ・・・?これぞ THE 堂々巡り。

「スピリチュアルが胡散臭いのはそういうとこだよ」と思わず大声で叫んでしまいそうですが、気を取り直して突破口を探してみましょう。

1-1. 天命は存在するか:ケーススタディー

「天命」って存在するのでしょうか?

ワタシは、「天命は、ある意味存在する」という結論に達しました。でも、絶対的存在とかそういうタイプの何かがズバッと決めている神聖なものとかそういう感じではありません。かなり単純なものでした。

天命がそんな大げさなものではないことをお分かりいただくために、例を出します。

“さと子の天命”

ある10代の女の子が「将来有名な歌手になりたい」と思っているとしましょう。彼女を、仮にさと子と呼びましょう。

さと子は毎日一人でカラオケに行って歌を練習します。夜は部屋にこもってオリジナルの歌を作詞作曲します。そういった生活を何年も続けたある日、「私、テレビに出てる歌手より歌上手いかも」と思い始めます。

行動力のあるさと子は、溜め込んでいたお年玉を使って、ヨドバシカメラでオーディオ機器とマイクを買いました。路上ライブを行うつもりです。

路上ライブでオリジナル曲を熱唱していると、さすがに歌は上手いので、道行く人はチラホラ立ち止まってくれます。

2年ほど路上ライブ続け、その様子をフェイスブックなどのSNSに投稿し、ある程度ファンと呼べるような人がつくようになります。

さらに2年後のある日、さと子はライブハウスで小さなインディーズレーベルの社長に声をかけられます。さと子の歌の技術と人柄に魅力を感じた社長の働きかけで、彼女はオリジナル曲のレコーディングをして、iTunesで楽曲を配信することになります。

でもさと子の楽曲は数百ダウンロードを記録するに留まり、29になったある日、彼女はライブハウスで歌うのをやめます。

このまま定職につかないまま独身ミュージシャンとしてやっていくことに疑念を抱いたのでしょうか、ファンの一人だったラーメン屋の優しい男性と結婚し、地元で少し評判のラーメン屋の美人女将として生きて行くのでした。

さて、有名なミュージシャンにはならずにラーメン屋の看板娘になることがさと子の天命だったのでしょうか?

答えは、Yes & No の両方です。

1-2. ケーススタディーの分析

歌の腕前を磨いたり、ライブハウスでライブを行ったり、iTunesで楽曲を配信するといったことは、もちろん、「ミュージシャンになる」という目標には則しています。実際に、音楽活動をしていた頃のさと子は間違いなくミュージシャンでした。

でもこれらの活動は、「有名なミュージシャンになる」という目標を達成することとはあまり関係ありません。

水は100度を超えなければ沸騰しませんよね。暖房をつけようが照明を10台当てようが隣でキャンプファイヤーを始めようが、どんなにそれっぽいことをしても温度が100度を超えるだけの熱を与えなければ水は沸騰しません。

それと同じで、どんなにミュージシャンっぽいことをしようとも、どんなにミュージシャンとして努力しようとも、「有名になる」ために必要な努力をちゃんと行わなければ、有名なミュージシャンになれることはありません。

さと子が行なっていたことは「鍋に綺麗な水を注いだけれど、弱火にしたままじーっと待ったが、ついに沸騰しなかった」です。

水が沸騰する条件を揃えないまま、いくら待っても沸騰はしません。ミュージシャンとして名を馳せるには、歌の上手さやルックス、名曲を持っているだけでは不十分なのです。

どんなに美味しいロールケーキでも、コンビニの片隅に陳列してあるだけでは、お客さんに買おうと思ってもらえる以前に、美味しいロールケーキがそのコンビニに存在すること自体わかってもらえません。

多くの人に知ってもらい、覚えてもらい、好きになってもらうには、以下のことを行う必要があります:

  • ▶︎ 時代に合った綿密なプロモーション戦略
  • ▶︎ 他のミュージシャンにはない強い個性
  • ▶︎ 音楽以外の商品やサービスとの連動 等
  • ▶︎ または、以上のことを代わりに行ってくれる敏腕プロデューサーとの出会い

これらのことを全く行なっていなかったさと子が有名なミュージシャンになれる可能性は、そもそも限りなくゼロに近かったのです。

音楽業界に詳しい人と知り合って音楽業界の仕組みを教えてもらったり、そのコネを利用して大手メディアと接点を持つなど、そういった知識さえあれば、然るべき行動を取ることができたはずです。

さと子のケースは、知識とリサーチ不足を原因とした「有名なミュージシャンにはなれない」という天命であったと言えます。つまり、運命や天命とは、ただの必然です。

将来の自分の姿は、そうなる環境や条件を揃えれば高確率で実現し、的外れなことばかりやっていれば当然実現しません。ラーメン屋のアイドルになったさと子も、今からだって有名なミュージシャンになる方法をリサーチして実行すれば、きっとなれます。

ということで、天命やら運命やらはある意味存在しますが、超自然的な何により生まれた瞬間に定められているわけではなく、本人の行いや身を置く環境によって、都度、定まるものだと考えます。

1-3. 「強く願えば叶う」はある意味、本当

「強く願えば夢は叶う」と、アーティストやスポーツ選手が言うことがありますが、あれもある意味本当です。

なぜなら、「有名なミュージシャンになってやる!」とそもそも思っていなければ、そうなるために必要な条件を揃えようとも思いませんし、きっと途中で「もうなんか別にいいや」と諦めてしまうことでしょう。

「強く願う」は確実に、自分が将来なりたい姿を実現する最低条件です。その他にも色々な条件がありますが、二階建ての家を建てるにはまず一階部分を建てなければならないのと同じで、大切な大切な最初の一歩です。

もちろん、一階部分を建てた後、何億年経ってもただ待つだけでは二階部分が出来上がらないのと同じで、強く願うだけじゃダメですけどね。

2. 「神の意志」についてロジカルに考える

運命は存在するが、自分の運命を定めているのは、結局、自分が生きる環境や行いであることを前提に話を進めます。

神の意志的なものは存在するのでしょうか?この問いに対する答えも、いたってシンプルなものです。

神の意志が存在するとしたら、それはあなた自身の意志ではないでしょうか。あなたの意志次第であなたの行動は変わっていきます。あなたの行動が変われば、あなたの周りの人や環境が変わっていきます。周りや環境が変われば、当然、あなたの運命も変わります。

2-1. 自分の意志

たとえば今、ぬるま湯のような環境の会社にいて、「このまま今の仕事を続けていたら、将来機械に仕事を奪われて悲惨な人生が待っている」と感じたとしましょう。

その会社は大きくなり過ぎて、会議一つ設定するのに一週間かかったりするほど意思決定は遅く、新しい技術やアイディアを商品化するのにいちいち社内からの抵抗にあったりして、近年、時が止まったかのように全く進歩していません。

でも会社はあなたにそれなりの給料と権限を与え、同僚は仲良く接してくれます。あなたは実際に、今の会社に居心地を感じています。

もしあなたが「まあこのままでもいいや」と思えば、あなたはそのまま会社に残るでしょう。会社は結局倒産するまで変革することなく、大規模リストラを行い、放り出されたあなたはまるで浦島太郎かのように、はるか先まで進んでいた外の世界を目の当たりにし、時代に取り残された感覚を味わうでしょう。

そして、最後まで行動を起こさなかった自分が悪いのに、「何十年も会社に尽くしたのに、あんまりだぁ!これが神の意志なのかーー!」などと叫び出して、もう目も当てられない状態になったとします。

神の意志=自分の意志であると考えてみましょう。「このままじゃいけない」と、ちょっとだけ思ったものの、その意志は「今の会社の居心地」や「良くしてくれる同僚」といった誘惑によって押さえ込まれ、無になりました。

ぬるま湯の環境から出て行こうとするほどの強い意志が無いわけですから、そのまま諦めて何もしなければ、それがあなたの運命です。

2-2. 運命の書き換え

でも、そこで人生を諦めないで時代に追いつこう、追い抜こうなどと強く思い、何をすれば良いのか考え、行動すれば、自分の人生を変えていくことができるはずです。

それは神の自分の意志による運命のシナリオの書き換えです。

みなさんは、自分自身の意志と行動によって、自分の未来の姿を頻繁に、確実に書き換えています。

ということで、ここでは「人間は行動を取る度に自分の運命のシナリオを書き換えている」ことをお話しします。

突然ですが、みなさんが一番好きな小説や映画のストーリーを思い浮かべてください。お話の最後に、主人公はどうなりますか?

たとえば、ヒーローがヒロインと、もしくはヒロインがヒーローと、ドラマチックにくっついてハッピーエンドを迎える恋愛モノのお話を例に取りましょう。

でも物語の作者が、物語のある部分を書き換えたとしましょう。たとえば、ヒーローとヒロインがそもそも出会わなくなるようにしたとします。

さて、物語の途中が変わってしまいましたが、それでも、以前と全く同じエンディングを迎えることができるでしょうか?できませんよね。

ワタシたちが行動を取る度に、それに応じて未来のシナリオは書き換えられます。生涯一度も会うことのない人と結ばれたり、サッカーの練習を一回もしないでプロサッカー選手になったりといった、脈略のないことは起こりえないからです。

2-3. 世界の原則と自分の意志

繰り返しになりますが、一階部分を建てなければ二階部分は建てられません。ワタシたちが二階部分を本気で建てようと思うなら、まず一階部分を建てる、という行動を起こすことでしょう。

なお、二階部分を建てている最中に、強風が吹いたり、雷が落ちたりといった不測の事態が起こり、思うように進められないことがあるかもしれません。

ワタシたちが住む世界の原則として、何においても、一定の確率で異常が起こります。もう春なのに真冬の寒さの日があったり、作業を完全に自動化している工場でも不良品が少数混入したりします。

毎日、毎分、毎秒、(矛盾していることを言うようですが) 全世界のあらゆる場所や分野で日常的に異常が起こっているのです。津波が来たり、地震が起こったりしますが、そこには神の意志もへったくれもなく、一定の確率でそうなる世界にワタシたちは生きているのです。

ただ、異常といっても、これもまた、脈略のないことは起こりえません。天変地異にも原因は必ずあります。

ワタシたちが何かに対して「異常」と思ったとしても、それはあくまで主観的な捉え方で、もっと広い視野や高い視点から見下ろしている人がいたとしたら「いったい何が異常だと言うんだい」と思うことでしょう。

「不測の事態」が不測なのも結局、ワタシたちの知識やリサーチ不足が原因です。将来地震の原因やメカニズムが完璧に理解され、予測ができるようになれば、地震はもはや「不測の事態」ではなくなります。

ワタシたちは、自分たちの知識が及ぶ範囲の中で自分の運命を操作することができるのです。

よって、人の運命を決めることに関しては神の意志といったものは存在せず、あるのは以下の二つだけです:

  1. 脈略がないことが起こりえないというこの世界の原則
  2. 自分の意志




3. 「オーラ」についてロジカルに考える

最近は、なんとなく存在感や風格があるように思える人のことを指して「オーラがある人」と言いますね。人によってオーラの色が違って見えるだとか、オーラにも強弱があるだとか、そういった話を聞きます。

ではオーラとは本当はなんなのでしょう?

3-1. オーラの正体

オーラの正体を暴くために、まず人間の習性についてサラッとお話します。

人間は未知と遭遇した場合、過去の記憶から似た経験を掘り起こし、目の前の状況と見比べて、危険な状況なのか好ましい状況なのか判断しようとします。

たとえば、ハイキング中にネオンブルーのキノコを見つけても、それを食べたいと思う人は少ないでしょう。なぜなら、「蛍光色のカエルは毒を持っている」、「洗剤とか、食べてはいけないものはだいたい蛍光色」という記憶と照らし合わせると、「このキノコはたぶん毒キノコ」という結論にたどり着くからです。

人と初めて出会った時も、相手が「いい人」なのか「悪い人」なのか、無意識に判断しようとしますよね。その時も、過去に会った人の中から似ている人を記憶から呼び出し、目の前の人と照らし合せます。

 

さて、みなさんがこれまで出会った、もしくはテレビなどで見た、えらい人や偉業を成し遂げた人を思い浮かべてみてください。「なんかすごそう」と思わせるような雰囲気や、風格があると感じさせるような人です。

では次に、今一番近くにいる人を見てみてください。

記憶の中のえらい人と、目の前にいる人に類似点が多い場合、ワタシたちは「この人もえらいんじゃないか」と考え始めます。でも、照らし合わせる際の情報量が多すぎると、具体的に「なぜ危険と思うのか」「なぜ好感を抱くのか」がはっきりわからなくなります。

人間を見比べようとする時に処理しなければならない情報量と種類はハンパないです。

人の「見た目」一つとっても、顔立ち、額のの広さ、髪型、髪質、鼻の形や大きさ、目の大きさや位置、眉毛の形や濃さ、まつ毛の長さ、メイクの方向性や濃さ、アゴや輪郭の形、体格、肌の色、肌のきめ細かさ、服装、腕の長さ、足の長さ、手の形、指の長さ、首の長さ、etc・・・どんだけーーー!!!

一人の人間に関するこれだけ多くの情報を、もう一人の人間のそれと一つ一つ照らし合わせて、最終的に特徴が何%一致するかを瞬時に算出するなんて不可能です。実際、情報の量と種類が多すぎて、人間の言語では人と人の明確な違いを言い表せないのでしょう。

 

でも人間の脳は優秀です。具体的に点数などをつけたりできなくても、なんとなく「こっちの人の方があっちの人よりいい」などと判断したり、「この人はなんとなく存在感がある」「あの人はなんとなく陰が薄い」などと感じます。その「なんとなく」=オーラです。

言葉に言い表せないほどの大量の情報を、なんとなく感じる雰囲気として捉え、その感覚に「オーラ」と名前をつけているだけです。

3-2. オーラの色

スピリチュアルな方の中には、人によってオーラの色が違うと主張する人がいます。これは、「人間の印象」という、とても抽象的で言い表しにくいことを、「色」という親しみのあるものに置き換えて表現しているだけなのではないでしょうか。

ワタシたち人間は、特定の色に特定の意味を結びつけます。海の色である青には落ち着きやクールさ、爽やかさや雄大さを結びつけ、火の色である赤には怒りや勢い、インパクトなどを結びつけます。

スピリチュアルな方々に限らず、誰でも、他人の雰囲気というものを感じ取っています。でも自分が感じ取ったことは言葉に言い表しにくい!なぜなら、判断材料になる情報の種類も量も多すぎるから。だからがんばって説明しても他の人はなかなか理解してくれません。

でも「あの人はなんか青っぽいよね」と言ってみたら「あ、わかるぅぅぅ」というリアクションが返ってきます。「風格があって、落ち着きがあって、分析が好きそうで・・・」などと説明するより、「青」と言い表す方が伝わります。

つまり、オーラの色はただのコミュニケーションツールです。人間の言語では的確に言い表しにくい人間の人柄や雰囲気を、あえてザックリした「色」で伝えているだけです。

実際に、プロとして占いをしている人と親しくなってくると、だいたい「私本当は占いって信じてないんだよね。手相を見たりする時は統計学的な考え方をすればそれっぽいことが言えて、お客さんは信じてくれるし、あながち間違っていないんだよね」といった本音を話してくれます。

スピリチュアルな方々ほど、実は超自然的なことが存在しないことをわかっているのではないでしょうか。

ただ、人間はそういう未知でミステリアスなことを話すと興味を持って話を聞いてくれるから、あえてそういう「伝え方」をしているだけなのではないでしょうか。

4. 「引き寄せの法則」についてロジカルに考える

もうここまで来ると、昔からあるどの宗教も、モダンなスピリチュアルリーダーも、単純に人の興味を引くのが上手なマーケティングの達人であるように思えてきます。

宗教とは本来、普段意識しないけどよくよく考えると当たり前であるようなことを、あえてスピリチュアルな感じで語ることによって多くの人に興味を持たせ、意識させ、そういった当たり前のことの大切さに気づかせる、というお仕事なのでしょう。

この記事で行っているようにロジカルに延々と話したとしても、ここまで読み進めるほどロジック好きな、みなさんのような方々しか耳を傾けてくれません。

でも「Step1:神様という絶対的な存在がいます」
→「Step2:神様が正直者になりなさいと言っています」
と説明すれば、ワンツーパンチでサクッと多くの人々の行いや考えを改めることができます。

つまり、スピリチュアルは気付きにくいことに対して人々の関心を引くためのコミュニケーションツールです。

 

スピリチュアル全般の正体が「ただのコミュニケーションツール」であることがわかる、いい例があります。「引き寄せの法則」です。

引き寄せの法則が何であるかザックリ言うと「頭の中で強く思っていることは実現する」という説です。

ただ、説と言っても、疑似科学の域を出ません。提示されてきた根拠が逸話に基づくものが多く、きちんと証明されていません。

疑似科学と言うと、進化論に対する反対論として「神が世界を全部作ったんですぅ〜」と主張する天地創造説や、「わかったわかった進化論はあるっぽいから認めよう。でも一番最初に世界を創ったのは神ですぅ〜〜」と主張する有神的進化論、などがいい例です。

引き寄せの法則は、これらと同じカテゴリーの説になります。マイルドな胡散臭さですね。

4-1. 引き寄せの法則が有名になったきっかけ

引き寄せの法則といえば、日本では2007年に出版されたこちらの本で語られていることです。

この本には、引き寄せの法則を解説すると同時に、先ほどお話しした「強く願うだけじゃ願いは叶わないよ」という主旨の、わりとまともなことが書いてあります。

ポジティブなことを思っていればいいことが起きやすくなり、ネガティブなことを思っていれば病気になりやすくなったりする、なぜかと言うと波動がどうとか、ちょっと胡散臭いことは書いてありますが、オカルトやスピリチュアルな感じはそれほど醸し出していません。

また、同時期に、引き寄せの法則をテーマにした映画と、その書籍化されたものである以下の本がヒットしました。

こちらが主張することはハンパなく胡散臭いです。

「欲しいものを強く望んで、あとは待つだけで宇宙が与えてくれる」とか「成功者の多くはこの法則を秘密にしていた」だとか言って、話題を集めました。

おや?なんか一時期流行っていつのまにか耳にしなくなるダイエット法の売り文句みたいですね。

バナナダイエット、パワーストーン、水素水、引き寄せの法則。

効果が全く無かったり薄かったりしても、どんなゴミでも宣伝の仕方によって爆発的に売れるものなのです。共通するキーワードは「最小の努力で最高に自分に都合のいい効果」です。

本気で痩せようと思ったら、痩せるメカニズムを調べるのが合理的ですよね。健康になろうと思ったら、まず不健康の元を断つのが確実ですよね。

ちょっと考えればわかることなのに、ワタシたち人間はそれを実行しようとしません。代わりに、手っ取り早く効果がありそうなものばかり試したがります。

人間は考える生き物であると同時に、考えるのをめんどくさがる生き物なのです。

だから、「ある大学の教授」や「芸能人」、「神様」、「えらいお坊さん」など、知名度が高い人が言うことを鵜呑みにします。ひとたびメディアに取り上げられればなおさら信じてしまいます。

日本では、2007年頃、ちょうどスピリチュアルブームが起こっており、テレビなどで引き寄せの法則が取り上げられました。でも実は日本に限らず、欧米社会でも同じ現象が起こり、一大ブームになっていました。

4-2. 引き寄せの法則はただの流行り言葉?

これは・・・引き寄せの法則が世界規模で認められたということなのでしょうか・・・?違います。

何が起こったのかと言うと、バナナダイエットブームが再来したようなものです。

Googleが提供するNgramという、現存している書籍に任意のキーワードが何度記載されたかを調べることができるサービスがあります。そこで、引き寄せの法則の英語、”law of attraction”がこれまでどのくらい書物に記載されてきたか調べてみました。

以下の図をご覧ください。

「法則」と言うにはあまりにも一時的なブーム臭さ満載なのがわかりますね。人類が引き寄せの法則のことを忘れ去りそうになった2000年代に入ってから、また流行り言葉として復活を遂げました。

こういった「人々が忘れた頃にもういっちょ」的なところが、引き寄せの法則をはじめとしたスピリチュアルな話題全般が胡散臭く感じられる大きな要因のひとつではないでしょうか。

先ほど、スピリチュアルは普段人々が気付きにくいことに関心を引くための強力なコミュニケーションツールであるとお伝えしました。でもそのあまりの即効性から、金儲けの手段として悪用されることが多々あります。

スピリチュアルなことに対しては、人間はあまり根拠を求めないのです。またまた繰り返しになりますが、人間は考える能力があるくせに考えるのをめんどくさがります。騙す方も悪いけど、こればっかりは、騙される方も悪いと言わざるをえません。

宗教の教えなどから得られる学びや思想の方ではなく、宗教自体に高い価値があると思い込んでしまう人は、残念ながら少なくありません。宗教などのスピリチュアルはあくまでプレゼントの包装紙であり、プレゼントの中身ではないのです。

4-3. 引き寄せの法則をぶった切ってみた

引き寄せの法則にスピリチュアルな雰囲気以外の価値ある学びが実際にあるのか真面目に考えてみましょう。

引き寄せの法則とは、「ポジティブに考えているとポジティブなことを引き寄せ、ネガティブに考えているとネガティブなことを引き寄せる」という説です。シンプルでわかりやすいですね。

でも、1870年代、イギリスの生物学者トーマス・ヘンリー・ハクスリーは言いました。

The great tragedy of Science — the slaying of a beautiful hypothesis by an ugly fact.
科学の大いなる悲劇とは、美しい仮説ほど醜い真相に斬って捨てられることだ

ということで、いっぺん斬ってみましょう!

引き寄の法則が言う「ポジティブな思考をしている人にポジティブなことが起こりやすく、ネガティブな思考をしている人にネガティブなことが起こりやすい」のどこが本当でどこが偽りであるか、ぶった切ってみます。




4-4. 類は友を呼ぶは、本当

まずは、人が人を引き寄せるかどうかを考えてみましょう。

人々が国境を越えて移動したり、インターネットを介して地球の反対側の人間と意見交換したりできるようになってから、ある現象が起こっています。それは、思想の二極化です。

「思想の二極化」というと難しいことのように聞こえますが、例を挙げるとわかりやすくなります。つまりは、こういうことです:

“思想の二極化の例”

  • 猫派の人間が地域や国境を越えてSNS上で集まったり情報交換したりするようになり、犬派にも同様のことが起きている
  • グローバル化しようとする会社に英語を使って仕事ができる人や、そうなろうとする人が集まり、英語とは一生無縁だと思う人たちが海外展開するつもりのない会社に集まっている
  • 実力やコネがある人たちがお金を稼ぎ、そのお金を元手にドバイなどの成功者が多く集まる地域に移り住み、さらに上の成功者と仕事をしたりコネを作ったりできる
  • 社会に不当な扱いを受けてきたと感じる世界中の人々が一つの組織に集結し、組織的にテロを行うようになっている

もちろん、大昔から似た思想を持つ人間は集まる傾向にありましたが、世界的に情報や人の行き来が楽になった現代では、極端に多くの似た者同士が一箇所に集中するようになりました。

そして、多くの仲間がいると人間は喜びます。なぜなら、自分と似た考えを持つ人とお話しするのが楽しいということの他に、「自分の考えは間違っていない」という安心感が芽生えるからです。

自分はより大きな意志や集団の一部なんだと自覚すると、人間は一人では勇気がなくて取れなかった極端な行動が取れるようになります。

たとえば、フラッシュモブ、「〇〇ファンの集い」といったニッチなイベントの開催、ベンチャー起業、デモ行進、テロ。

極端な行動を取ると、ニュースになったり、SNSでシェアされたりして、さらに多くの人の目や耳に触れ、またその中から同類が集まってきます。

このパターンの連鎖が、思想の二極化を引き起こしています。

ということで、「類は友を呼ぶ」は本当で、現代ではさらにその傾向が強くなっています。

そりゃあ、ネガティブ人間はポジティブ人間のSNS投稿に「いいね!」しませんし、ポジティブ人間はネガティブ人間のSNS投稿に「いいね!」しませんよね。だから、ポジティブ人間の輪にネガティブ人間の思想や存在は広まらなくて、逆も然りなのです。

少なくとも、同じ思いを持った人同士が自然と引かれ合うのは事実と言えるでしょう。それも、波動が共鳴し合うとかどうとか、そういう胡散臭い原理ではなく、ごくごくシンプルな仕組みです。

4-5. 意識の違いがもたらす差

では、人間でないものは、それを強く願っている者の手に舞い込んでくるものなのでしょうか?

これもある意味本当であると考えます。ただ、「欲しいと願っているものが引き寄せられる」のではなく、正確には「欲しいと願っているものを手に入れられる可能性が高まる」です。

ここでちょっと実験をしてみましょう。下の絵をご覧ください。何の絵でしょう?

そうです、ため息をついている赤ちゃんのキャラクターの絵ですね。

さて、この絵の中に動物が隠れていることに気づきましたか?「今気づいた」という方が大半だと思います。

何が言いたいのかというと、たとえ実際にそこに存在するものでも、意識していなければ見えないということです。今は、上の絵に動物の絵が隠れていることが意識の中にあるので、オムツにキリンのような、鹿のような絵が描かれているのが見えますよね。

同様に、ホラー映画を観た後にやたら音や影に敏感になったりするのは、「お化けが出たらどうしよう」と考えているからです。怖いものを意識するということは、怖いものを無意識に探してしまう、ということです。

無意識に怖いものを探そうとしている状態では、暗闇の中で少し開いたトイレのドアや、夜風に揺れるカーテンといった普段「怖い」と思わないものが、意外と怖いことに気づきます。

このように、ワタシたちはネガティブなことを考えていると、ネガティブなことが起こることを期待してしまうものなのです。ネガティブなことを引き寄せているというより、ネガティブに物事を解釈しやすくなるのです。

 

さて、先ほどの赤ちゃんの絵の問題で、「そんなわかりにくいところに小さくうすーく描いてある絵なんて、それを探していない限り気付くわけないよ!」と思いませんでしたか?その通りです。この世は意識的に探さなければ気付かないことだらけなのです。

突然の海外赴任の通知。それを全く望んでいなかった人には死の宣告に聞こえるかもしれませんが、それをずっと待ち望んでいた人にとっては、学び、昇給、昇進と、より豊かな人生への切符です。

他業種の赤の他人との飲み会の突然な誘い。飲み会に行くより家でゲームを遊んでいたい人にとっては誘いを断るためにそれっぽい口実を考えなければならないただのめんどくさい出来事ですが、自分の可能性を広げるために人脈を広げる努力を常にしている人にとっては願ってもないチャンスです。

チャンスを意識的に探しているかいないかで、見える世界は全く異なります。成長のチャンスを探していない人は、せっかく成長のチャンスが訪れたとしても、それをチャンスだと気づくことすらできません。一方、成長のチャンスを意識的に探している人は、成長のチャンスが訪れた時、それがチャンスだと瞬時に理解し、行動を起こします。

こうして、チャンスをつかまない人とチャンスを確実につかむ人の間には日に日に差がついていきます。この差の発端はスピリチュアルさとかそういうよくわからないものの違いではなく、単純に、意識の違いです。

4-6. 「引き寄せ」や「運」は主観的解釈

さて、引き寄せの法則にはスピリチュアルなことが一つもなく、ただの必然であることがわかってきました。

強く何かを願うと、それを意識的に探し始めます。意識的に探していると、普通は気付かないことにも気づけるようになり、チャンスをつかむことができるようになります。ただそれだけのことです。

では最後に、引き寄せの法則がなぜ1800年代に流行った後、一度忘れ去られる程度の説であるか説明したいと思います。

アインシュタインが提唱した説や法則は絶え間なく重要視されてきたのに、なぜ引き寄せの法則はブームの波があるのでしょう?それは、一時的に流行るダイエットと同じレベルの、ぶっちゃけ、くだらない説だからです。

 

引き寄せの法則が語られる時、「大金が欲しいと思っている人が宝くじを買って、2億円当たった」などという逸話がよく挙げられますが、これは全く驚くようなことではありません。

まず、「大金が楽して手に入れられたらなぁ」と思っていない人はそもそも宝くじを買いません。宝くじを買わなければ、2億円が当たる確率はゼロです。

一方、宝くじを一枚でも買えば、確率自体は天文学的に低いものの、当選する可能性が生まれます。たとえば、宝くじを一枚買ったAさんが当選する確率は、こんな感じの数字でしょう。

では次に、ちょっと天界から世界を見下ろしているつもりで考えてみましょう。宝くじは毎年販売されます。そして、宝くじが人間に当選する確率は、毎年100%です。運も何も無く、当然の結果です。

誰かが神通力や霊的パワーか何かで2億円を引き寄せるまでもなく、誰かに必ず当たるようになっているのです。宝くじとはそういうルールのビジネスですから。

運とはとても主観的な考え方です。間違えてアリを踏んづけてしまったり、食べていたお菓子のかけらがポロッと落ちてアリの餌になったとしても、どのアリの個体が不幸か幸運かだったかなんて、正直どうでもいいことですよね。

「アリの土田君(生後2週間)を踏んづけてしまった」、「アリの友田さん(生後3週間)の目の前にお菓子のかけらを落とした」とは考えないはずです。

あるのはただ、「歩くために脚を出したら、そこにアリがいて踏んづけちゃった」と「食べてたお菓子の破片が地面に落ちて、そこにいたアリの餌になった」という日常だけです。

アリはよく踏まれる生き物であり、よく人間の餌のおこぼれに預かる生き物です。人間とアリの生息地が近いことと、体の大きさの違いから、これらのことは必然的に起こるものなのです。

この地球、太陽系、宇宙や大宇宙には必然的な出来事しか起こりません。

「運」とは、単純に、一個人が一連の出来事を主観的に見た時に、それらが自分にとって総合的にプラスだったかマイナスだったかのフィーリングにつけたただの呼び名です。魔力も霊的パワーも何もありません。ただの名前ですから。

結論:
一個人という宇宙の規模からしたらプランクトン以下ほどの惨めで小さな存在がものごとを引き寄せているだなんて、「自己中もいいかげんにしとけよ」ということです。

5. まとめ:スピリチュアルはエンターテインメント

ということで、ロジカルに考えることで、多くのスピリチュアルワードが、「必然的に起こっているけど人に説明しにくい仕組みなのでザクッと省略して神秘的に聞こえる名前をつけてみたもの」であることがわかりました。

人間は考えるのを面倒くさがり、さらに未知のものが大好きです。ワタシたちは自分たちの知識が及ばないことに神様や霊といった神秘的なものを想像して当てがい、膨らませて、楽しみます。

わかんなかったらとりあえず神様の仕業にしとけばOK!だって「さっぱりわかんない」で片付けるより面白いじゃない!

スピリチュアルとは、その程度のものでしょう。テレビドラマとかと同じで、スピリチュアル分野で語られること自体はフィクションですが、だからといってそこから学べるものが何も無いということはありません。エンターテインメントだと捉えれば、スピリチュアルを健全な形で楽しめるのではないでしょうか。




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